いつか

死にたいわけじゃないけれど

生きていたいかと聞かれても素直に首を縦に振ることはできなくて。

自分が一番可愛いけれど

自分が一番気持ち悪い。

不幸で可哀想な振りをしていれば周囲が優しくしてくれるから

きっと頑張れるのに頑張らない。

でも、そんな時間にも終わりがあって

きっともうすぐ消えてしまうから。

誰からも必要とされないのは酷く怖いことだから。

動くしかない。進むしかない。

気がついたら忘れてしまえると思うから。

月日が経てば酔えてしまえると思うから。

 

いつか出会えるかな

忘れなくても

酔わなくても

愛せる私

守ってあげたくなる私

世界中の誰よりも幸せにしてあげたくなる私

 

今は傷つけることでしか認めてあげられないけれど

いつか

認めてあげたいな

許してあげたいな

愛してあげたいな

宇宙でたった一人の私

 

 

停死

1番いい時期なのに。

今まであんなに頑張ってきたのに。

報われないのが可哀そう。

今やらないと後で絶対虚しくなるよ。

見ていると悲しい気持ちになる。

どうして今なの?

 

 

私が止まると傷つく人がいるらしい。

 

幾度となく壁に当たれど軌道修正を繰り返し、

「止まる」を知らなった私。

けれど昨年、不意にその選択肢を目にした。

 

今まで私の目の前には一度も現れなかったそれ。

 

存在は知っていたけれど、己とは無縁だと思っていたからか

なんだかとても不思議な気持ちになった。

それでも、他に広がるどんな選択肢よりもそれはキラキラと輝いていて

気がついたら私は手に取っていた。

 

それから数週間。

その輝きは紛れもなく本物だった。

周囲は驚くほど私に優しくなり

訳を作らずとも何もしなくてよい時間が手に入った。

誰も傷つけることもなければ、誰からも傷つけられることもない世界。

 

けれど、さすが本物である。

それだけでは終わらなかった。

 

それは私に考える隙と時間を与えてしまった。

 

本当は心のどこかで気づきつつも

決して口にすることも文字にすることも無かった思考と感情。

 

一度外に出してしまったら、もう後戻りはできない。

繊細かつ理性の化け物みたいな私のことだから、死ぬまで脳内で再生され続けるだろう。

 

「止まる」は己も他人も傷つけない選択肢だとばかり考えていたが

どうやら違ったらしい。

「止まる」はこの世で最も私に優しいけれど、

それ以上に私の心を深く抉り、この先消えることの無い傷跡を残していったのだ。

 

 

優しい時間は決して優しくないのである。

 

 

 

 

 

 

 

屑メンタル

今まで比較的真面目に生きてきたのに

急に世間の「普通」や「当たり前」ができなくなった

というか、していない。

 

全てどうでもいい。とか、

口先では言ってるけれど、世間を無視できるほどのメンタルは無い。

「普通」や「当たり前」という名のレールから外れるのは実に怖いからだ。

 

レールは前に進める人しか乗れない。

一歩も進めていない私は下りないといけないのだけれど、踏み外した片足を静かに眺めたまま動かない。

 

みんな凄い。

自分のために、大切な誰かのために、社会のために

頑張ってる。努力している。

 

辛いのは、嫌なのは、みんな同じらしい。

みんなそれを解ったうえで頑張れるらしい。

 

無理だと思っても

1日休めば、2日休めば、復活する(できる)らしい。

 

今まで自分本位で生きてきた私は、“自分”がどうでもよくなった今

進み方がわからない。

 

親は大切だけれど、結局は自分が一番かわいいから、“親”のためには頑張れない。

 

将来や未来なんてものもあるけれど、

そんな不明瞭で不確実な存在のために己を動かせるほど今の私は強くない。

 

あーあ

 

 

 

本当は

みんな本当は知っているのだろう。

この世に生まれてきた意味などないこと。与えられた使命などないこと。

「生まれたから生きている」

それ以上でもそれ以下でもないということを。

 

法律、規則、義務、ルール、道徳、倫理。

たくさんたくさん作って縛った。もっと善くするために。

でも、思っていたものとは違っていた。

 

幼い頃、善の反対は悪だと思っていた。

でも、違った。本当は善も悪も無かった。

 

みんな本当は知っている、気がついている。

ただ忘れたふりをしているだけ。

 

「生きててよかった」

不可解な言葉だ。

死んでたこともないくせに。

 

よく「己に克つ」というけれど

私はこれほど「生きる」を表す言葉を知らない。

 

生きるためには、生き続けるためには、

己を捨ててはいけない。

己に飽きてはいけない。

 

「己に克つ」

 

生きるためには己に克ち続けなければならない。

己が己に飽きてしまわぬように。

己が己を捨ててしまわぬように。

 

本当は

他者の承認などなくとも、己の承認さえあれば十分なのだ。

けれど、これほど手に入れるのが難しいものはない。

 

だから

“しなけれらばならない”ことも、“すべき”ことも、存在しないこの世界で

全て幻想に過ぎないこの世界で

私たちは探すのだ。

 

誰も決して与えてはくれない、たった1つを。